生命を創り操ること、これは長く神々だけに与えられていた特権でした。
現在遺伝子工学の発達によって、私たちは他の動物だけでなく、自分たち人間の誕生創造にまで深く介入し、
力を行使することができるようになりました。
身近なところでは、各種の人工的な不妊治療を思いつかれることでしょう。
精子バンク、試験管ベイビー、代理出産などなど。
一昔前までは考えもつかない、誰もが倫理的な嫌悪を抱いたのではないかと思われるようなこれらの方法が、
今世界で行われています。
遺伝子工学と倫理問題が真っ向から衝突し、広汎な論議を巻き起こしはじめたのは、
ドリーの誕生後、クローン人間という存在が、SFの世界ではなく、現実のものとなってからでしょう。
人間が人間を複製する、まったく同じ者を造ってしまう、それが技術的に可能だという状況は、
一般の私たちにとっては、いきなり後頭部を鈍器で殴りつけられたような、とてつもない衝撃でした。
遺伝子工学技術をもちいれば、他にも様々なことが可能になるでしょう。
将来、生まれてくる子供の遺伝子情報を改変することで、
両親の思ったとおりの容姿と能力を持った人間として誕生させるといったことまで、当たり前になりかねません。
同性愛者のそれぞれの遺伝子情報をある受精卵に与えてやれば、ゲイやレズビアンのカップルが、
自分たち二人の特徴をあわせもった子供を持つこともできるでしょう。
しかしながら、このような事態には「人間の尊厳」という言葉をもってくるまでもなく、
多くの人の倫理観に反した行いです。これらの革新的な「冒涜」は、多くの反対と法的な戒めを受けながらも、
それらの手の届かないところで、もしくは秘密裡に今も続けられています。
神々に公然と挑戦する人間と科学は、いったいどういう運命を迎えるのでしょうか。
勝つのか負けるのか、ただし、体細胞によるクローン人間が誕生したとして、
その「勝利」の後にあるものは、神々の住むとされる天上の生活のような好ましいものであるのでしょうか。
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