遺伝
 

メンデルの死後、彼の研究成果が脚光を浴びたのは前項でもふれましたが、実はそれにはちゃんとわけがあったのです。

そもそもなぜ偉大な研究にもかかわらず、メンデルは評価されなかったのか? 理由は簡単です。彼の時代には染色体の存在はなかった。いや、認められていなかったのです。

つまり、彼の研究成果を誰も理解できなかったのです。そして彼が死に、メンデルの法則が再発見された19世紀には染色体について多くの研究成果によってわかっていたため、ようやく彼の研究成果が認められたわけです。しかしそれでも彼の考えた要素が染色体上にあるとは認められませんでした。

遺伝子が染色体上に存在することを最初に仮定できると唱えたのは、アメリカの生物学者でもあり、医学者でもあったウォルター・サットンでした。当時、彼は大学院生でありながら、バッタを使った研究で、明らかに違う遺伝子が染色体上に存在することを提唱した。なぜ、バッタ?と思うかもしれませんが、バッタは染色体が大きく調べやすい、また観察するのに最適だったためといわれています。サットンが行った研究結果は、合理的かつ事実に基づいたため、多くの研究者をうならせることになりました。

 その後、サットンは研究を進め、分裂における染色体の挙動はメンデルの法則に従うとする「染色体説」を提唱しました。しかし、それでも遺伝子が染色体に乗っていることの証明につなげることが出来ず、無常にも年月だけが過ぎていきました。